夜に書く

@chikachi1053 雑記とお返事

『山羊の羊の駱駝の』のこと

 苦手だけどふとたまに読んでしまって、やっぱ好きになれないな〜って思う漫画があります。でもまた半年後くらいにどうしても読みたくなって、気持ち良くなれないとわかりつつも本を開いてしまう。

 大島弓子の『山羊の羊の駱駝の』という漫画です。

 

 エリート家庭に生まれ、体裁を気にする親の元で真面目に生きてきた雪子は、ある日街中で出会った天使様の格好をした募金のお兄さんのためになりふり構わずお金を集める。親の財布から抜き取ったり、クラスメイトに嘘をついたり、時にはヌード写真と引き換えにして得たお金を持って天使様の元へ足繁く通う。天使様の募金箱へお金を落とすと、リンゴンリンゴンと鐘に似た音が鳴る。「ありがとう」天使様は笑う。その笑顔がほしくて、必要とされているのだと実感したくて、とうとう万引きに手を出してしまう。募金のお兄さんはただの詐欺師で、集めたお金は仲間とのパーティーに使われる。長く短い夜のうちにあっという間に溶けてしまう。でも雪子はそのお金が何に使われているかはどうでも良くて、ただリンゴンの音を聴くために募金をする。

 

 どう考えても怪しいバイトのはずなのにぼけっと付いていくところも、クラスメイトに止められても気に留めないところも、読むたびに全部全部腹が立ってしまって、雪子のどうしようもなさ、考えのなさ、すべてが嫌いだった。

 でも、雪子が「真面目そうだった」から、それがどうしたのだろうとも思っていました。
 真面目そうだったから常識があるわけではない。真面目そうだったから人の気持ちを考えられるわけではない。どんなひとにでも自分自身の王国があって、たまたま今目の前に見えている世界と価値観のずれが少なかったから、みんな順応できているように見えるだけ。内に燃えたぎるマグマのことを、雪深く埋もれた孤独のことを、他人には理解が及ばない信条のことを、一体誰もどうやってわかった気でいられるというのだろう。ずっとそう思っていました。

 

 自分や世の中との間に矛盾を抱えている物語が好きだから、この作品だけではなく、「自分だったら絶対にこんなことしない」という理由で批判してる意見を見ると、どうしてそんなことが言い切れるんだろうかといつも思います。映画の『寝ても覚めても』とかもそうなんだけど…。

 その行為自体は全く褒められたものではないし全然肯定できないけど、誰かを傷つけてでも自分の意思を貫かなければいけない場面に直面すると、倫理観を壊してでも突き進んでしまうこともある。そういう瞬間は誰にでも訪れる可能性があるんじゃないでしょうか。

 わたしも悟ってるわけじゃないんで、雪子にしても朝子にしても最低なことしてるな〜って思います。でもこういうどうしようもない渦の中にある作品のことを嫌いになれないんです。余談だけど『宮本から君へ』がそういう話と聞いているので、ぜひ見たいです。

 

 『山羊の羊の駱駝の』は苦手だけど、自分の中の抱えきれないぐちゃぐちゃした思いに形を与えて昇華してくれるのが創作物で、それは作品が好みとか好みじゃないとか、時には倫理観でさえ関係ないんじゃないかなあ。その思いが自分を悩ますものであればなおさら向き合うことは苦しい。

 でもそんな物語でも、好きじゃないまま大事にしたっていいって、この漫画を読むたびに思います。

 

拍手ボタン